Text:Rui Konno
「『なんかつくれるかも』っていう喜びが大きかった」
- "点と線 " 極限まで削ぎ落とした点と線の豊かな可能性
これは「点と線」っていうテーマのバッグなんです。それぞれ違う形なんですけど、開くと同じサイズの長方形なんですよ。その長方形のどこをつまんで、どこを起点に起こすかで全然違うものになるんです。
- “点と線” イメージ図
―展開図を見るとすごくシンプルな構造なのがわかりますね。こういうアイデアはどうやって具体化していくんですか?
まず紙でいっぱい実験してみたんですけど、あらゆる造形ができるんですよ。本当に無限にできる。例えばその中から、「これはおもしろそう」と思ったものを3型2色のバッグに落とし込んだのがこの「曲」です。複雑じゃなく、本当に一個の線をつまんでるだけとか、最小限でものすごく削ぎ落とした状態。なのに無限の造形ができるっていうのがすごいおもしろくて。
-YOSHIE ISHIGURO "曲"
正円のパターンを曲線に曲げる。折る・曲げる それに伴う革の反発や歪みを利用してバッグに成立させている。
―「ヨシエイシグロ」としてのファーストコレクションは2022年だと伺いましたけど、そこからの発表は不定期ですよね?
そうですね。ヨシエイシグロをやる上でテーマというか、やってみたいなっていうキーワードが今のところ8個くらいあって。今お話しした削ぎ落とすこととは真逆で装飾的なものとか、伝統的な技法とか。そういうのを一個ずつ掘り下げて、新作とか個展とか、何かしらの形にすると2、3年になっちゃうんです。それをヨシエイシグロではやっていけたらなって思ってます。だいぶ絞って8個で、これからまた増えるかも知れへんのですけど。それを計算すると60何歳とかになっちゃうから、最終的にアーカイブ展みたいなことができたら…なんて考えてます。
―なかなか壮大な展望ですね。8つのキーワード、少しだけ聞いてもいいですか?
- "襞" ヒダ
「連続」っていうのはやりたいなと思ってます。このシリーズが「ヒダ」っていうんですけど、これは単純な同じ形のパーツを繋ぎ合わせていってるんです。同じサイズにひたすら切って、同じ直線をひたすら縫って。私は内臓的なものの一部みたいなイメージでつくってるんですけど、たとえば小腸を大きくしていったらヒダの連続やったり、人間の細胞を拡大してみても並んだ核の連続やったりするわけで。そんなイメージです。
―自然の中にある幾何学に出会ったときみたいな不思議な感覚っていうことですよね。
そうです、そうです。それはパーツが連続するっていうこともそうやし、職人としての動きみたいなことも連続していて、ループしてる。なんて言うか、つくってる私自身の動作と思考が行き来してるみたいな感じで。それを突き詰めていきたくて、同じパーツの連続がどんなおもしろい造形になるか、それをどうバッグにできるかを考えていけたらなって。
- LO / エルオー
―石黒さんはもうひとつ、「エルオー」というブランドもやられていますけど、こちらについてはヨシエイシグロとどんなふうに棲み分けされているんですか?
エルオーは2019年が初めての個展でお披露目だったんですけど、こっちは実用的でないとダメやなって思ってやってます。バッグや財布としての機能性や実用性は絶対クリアしないとあかんなと。その中で、どう削ぎ落としてどう組み立てて、オリジナルにしていくかっていう感じ。ヨシエイシグロの場合はそこもあんまし考えなくていいかなって最近は特に思ってて。リップしか入らんバッグとかでもいいかな、っていうくらい。
―石黒さんの今の活動が少しずつ見えてきたと思うんですが、そもそも石黒さんが鞄づくりの世界に入ったのはどういう形でだったんですか?
大学を卒業して、最初は普通の販売員として働いてたんですけど、そのときから漠然とものづくりがしたいなという感覚はあったんです。何が、というわけでもなく。元々私の父と母がよく映画だとかジャズのライブに行ってるような人たちで、ファッションも好きやったんです。私が生まれる前には、母が映画を観に行って、女優さんが着ていた服で気に入ったものがあると似たデザインを自分用にあつらえたりしてたみたいで。私が小学校とか中学校くらいの頃にその服をくれたりしたんですが、それがすごくかわいかったんです。
―すごく素敵なお話しですね。
そのままだと私は着れないから、自分のサイズに直したりしてたまに着ていて。その服で電車に乗ったら、全然知らないおばさんに「めっちゃ素敵ねぇ」とかって急に声かけられたりするんですよ。「これ、母のなんです」って言ったら「まぁ!」みたいになって、そのまま仲良くなって喫茶店に行ったりしましたね(笑)。
―急展開ですね(笑)。
それでびっくりしたんですよ。“服ってすごい!”みたいに。私、人と話すのがめっちゃ苦手な子やったんですけど、自分でバーっとしゃべる感じでもないのに、こんなことあんねや…って。だけど、やっぱり接客は苦手で向いてなくて、5年働いて結局辞めちゃったんです。それからどうしようかな…って考えてたら、靴とかバッグの修理をしていた友達が「よかったら手伝いに来て!」みたいに誘ってくれたんです。それが始まりですね。
―数奇な縁ですね。そのときの心境、覚えていますか?
「あ、なんかつくれるかもしれへん」っていう喜びが大きかった気がします。革がどうとか、バッグがおもしろいっていうよりも、ものづくりに携われるかも、って。本当に偶然だし、そこに物語があるわけでもなくて。本当にたまたま。
―そこでは石黒さんはどんなお仕事をされてたんですか?
最初は靴の先っちょをピカピカに磨くとか、そんなことでした。でも、それで修理ができるならつくることもできるかもしれへんなと思って自分でも探し始めて、最終的に3年居させてもらうことになる神戸の工房に電話してみたんです。私はその期間を修行と呼んでるし、その工房をやられてた方を師匠って呼んでるんですけど、最初に「うちで何年か働いたら、独立できるくらいのことは教えてあげられると思うよ」って言われて、私は「じゃあ、ぜひ!」って(笑)。そこはオーダーメイドで、イチから絵を描くところからお客さまと一対一で進めていくような工房で。私もそれまでに色々調べたんですけど、「ここしかない!」と思って突撃しました。
―(笑)。おぼろげだったビジョンが現実味を帯びてきましたね。“バッグをつくる”と一口に言っても、アイデアを出したり絵を描いたり、実際にミシンを踏んだりといろんな部分があると思うんですけど、そこでは全部に携われたんですか?
全部です! そこはつくってるものもバッグに限らずで、何かのケースとかレザーグッズ全般で、具体的な要望があればいろんなものをやってました。しかも腕もめちゃくちゃいいですし、センスも素晴らしくって。
―漠然とくすぶっていた感覚は、そこで解消できたんでしょうか?
いえ、それは話が飛んじゃうんですけど、私の主人と出会った頃が最初だったなと思います。彼は美大を出ていて当時から絵を描いたり写真を撮ったりしていて。私は普通の大学で経済学部を出たんですけど何も覚えてないくらいの感じやったから、そういうクリエイティブなことをしてるっていうことにまずめっちゃ刺激を受けて。一緒に暮らすようになって、彼が絵を描いてるのを見て“この1本の線にそんなにこだわるんや…!”っていうところとかがものすごい衝撃的で。そういうふうに物を見るんや、とか、デッサンで手を描くときにも線を見るんじゃなくて線と線の間を見るんやな…とかって。今となってはすごくわかるんですけど、そのときはその意味がわからなくて。でも、それがいちいちおもしろくて、自分もわかるようになりたいと思ったんです。勉強したいっていうより、理解したいなって思って…ごめんなさい。質問、何でしたっけ?
―(笑)。大丈夫です、ちゃんと疑問以上のことが知れたので。それで神戸の工房の後は、いよいよ独立ですよね?
そうですね。最初は自分でもビスポークから始めたんです。“LOGSEE(ログシー)”っていう屋号で。私の名前がイシグロっていうんですけど、それを逆にして。- 石黒由枝のアトリエ
「窮屈なはずなのに、なんでおもしろいんやろ」
―LOG(記録)とSEE(見る)の掛け言葉ですか?
そうです! そういう感覚です。それで、ホームページもつくっていたので、そこだったり口コミから注文をいただいたりして。建築家の方が現場に行くのに、“三角スケールが挿せるバッグが欲しい”とか、美容師さんにシザーケースをつくったりとか、そんな感じが多かったです。
―おしゃれというより、道具としてのオーダーが多かったんですね。
そうですね。あとは例えば、このメゾンのこの形を、違う素材でつくって欲しいとかっていう依頼が何回かきたんですけど、それがすごい疑問やったんですよ。もう、あるじゃないですか、って。すでに世の中にあるものをつくるっていうのがすごくストレスになってきて、それが嫌で徐々にやめていくんです。それに革を一度にいっぱい買わないとダメだったり、コスト的にも厳しくて。そういうことをやめるのと並行して、オリジナルをつくるようになったんです。
―当時の違和感と葛藤、わかる気がします…。
それで、卸しもできるようにして安定した収入を目指せればいいなと思って展示会に出るようになったんですけど、元がビスポークだから、例えばひとつ20万円とか30万円のバッグとかを当たり前に持っていったりしてたんですよ。そういうものを見に来てない人がほとんどだったから、「めっちゃかっこいい」とかは言ってくれるけど、「ちょっと高いね」という反応で。これはもうちょっと考えなあかんなと。オリジナルというものを考えていく上で、ビスポークみたいな高級なものじゃなく、もっと削ぎ落としていかないといけないと思ったんです。例えば素材やパーツも、値段を抑えるためにはとにかく削ぎ落とさなきゃダメだし、設計図で言うと線もすごい減らしていかないとダメだと気づいて。
そうなんです。手間をなるべく省いて、パーツもなるべく減らしていく。頭で考えるバッグの設計から線をめっちゃ減らしていく。そうしたら、その削ぎ落としの作業が、めっちゃおもしろくなってきたんですよ。それが今の点や線にこだわったデザインにもなっていくんですけど。
―ここで来歴と現在のクリエイションとが結びつきましたね。
はい。私はいきなりシンプルな物をつくるっていうスタートじゃないんです。ものすごく複雑で、技術的にも手を掛けた物をつくれるという基準から、無駄をなくしていってる。どちらが上か下かとかじゃなく、修行先が本当にすごい物をつくるところだったから目も肥えてると思うし、革や素材を選ぶ目も養われたと思います。だから、初めからシンプルなものを始める人がいたとして、そういう人と自分が決定的に違うのはそういうところかなっていうのは感じてます。
―神戸時代のお客さんは、さぞ細かいオーダーをされていたんでしょうね。
いえ、そういう人たちって、「こういうものが欲しい」って言わないんですよ。「お前を見せてくれ!」みたいな感じで(笑)。「出してこい、お前の全力を!」って(笑)。
―(笑)。でも、普通はコストや製法の制限って窮屈に感じると思うんですが、石黒さんはそれが楽しめたんですね。
私も人に説明するときに、“制限の中で”ってよく言うんですよ。誰かに言われたわけじゃなく、自分で制限をつくってる。窮屈なはずなのに、なんでおもしろいんやろっていうのは自分でもよく思ってました。何でかなぁ…。でも、そういえば削ぎ落とすのがおもしろくなり出す頃に、折り紙とか箱のつくり方とかの本をよく読んでたんです。バッグの設計図の線を減らしていくうちに、折るとかっていうことに行き着いて。折るとパーツが3つくらい減らせるんですよ。パーツを減らせるってことは軽いし、縫わなくていいからステッチも減る。ステッチを入れるとそこから糸がほつれたり革が破れちゃったりするけど、そういうダメージも回避できる。折るって直線的でもあるけど、レザーだと歪ませたり、反発させたりもできる。それはレザーならではだし、折るってすごいなって。折り紙みたいな考え方って、やっぱりすごく合理的で。
ー言われてみると、確かにすごく奥深いですね。
箱をつくってる人の本では、“最終的には、設計図としては1個の点だけで立体物はつくれる”っていう話が載ってて。ティッシュをつまむようなイメージなんですけど。それがグサッときて、自分でも絶対にそれをやらないと! と思ってからは、いかに少なくするかにこだわるようになりました。それと同時に、めちゃくちゃ装飾しまくったこともやりたいなと思ってるんです。ヨシエイシグロっていうブランドを始めたのも、ここならそれがどっちもできるなと思ったからなんです。
―実用的でコストのバランスがいいエルオーと、より実験的なヨシエイシグロということですよね。
はい。並行してるけど、自分の中ではちゃんと分けてやってます。ヨシエイシグロでやっていることがエルオーにも活きてるし、どっちもあってこそ…という感じです。今は全部をひとりでやっていて、どうしてもスピードが落ちてしまってやれることが限られてしまうから、そこは考えないといけないことではあるなとも思うんですけど。
-実験から生まれたレザーパーツ
―ものづくりに携わられる前に比べたら、すごく贅沢な悩みですよね。
そうですね。本当に自分が全部考えているから楽しいし、それを人に発表させてもらえてる場があるなんて、本当に言うことないです。幸せやなって思います。
―お母さんの服を直していたときから、石黒さんにとってはものづくり自体が会話なのかもしれませんね。
はい。そうであったら嬉しいです。伝わったら嬉しいなって、そう思ってます。
石黒由枝
兵庫県出身。アパレルの販売、革製品の修理やビスポークなどを経験し、2015年に独立。夫の石黒幹朗とともに長らく暮らした西宮から8年前に京都・京丹波町に移り住み、現在はアトリエと工房を併設した自宅でものづくりと向き合う日々を送る。
YOSHIE ISHIGURO exhibition #折
- 会期:2024年11月9日(土) – 17日(日) 12:00-19:00
- 会場:Graphpaper AOYAMA
- 住所:東京都渋谷区神宮前5-36-6 ケーリーマンションA1/D2
- 店休日:月曜
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